アメリカで発達したアイスクリーム
いつアメリカにアイスクリームが伝わったのか、確かな年代は分かりません。しかし、1700年の日付が記された、メリーランド州知事のブレーデンを訪れた客の手紙に、「ちょっと珍しいデザートを食べた。それは組み合わせの妙で、イチゴと牛乳を使ったすばらしいアイスクリームで非常においしい」。これは初めて「アイスクリーム」という言葉が出てくる記念すべき資料です。
第4代大統領ジェームズ・マジソンの夫人ドリーが、1811年、初めてアイスクリームを登場させたホワイトハウスの晩餐会。また、彼女は1816年のパーティーでは、カスタードプリンをヒントにしたアイスクリーム(フローズンカスタード)を出しています。
アイスクリーム産業化のきっかけは余剰クリームの処理でした。1851年、ボルチモアの牛乳屋ヤコブ・フッセルは余ったクリームの処理に困り、アイスクリームの生産・販売を思いつきます。
当時、市販のアイスクリームは1コート65セントで、それを25セントで売っても採算が合うと判断、牛乳工場をアイスクリーム工場に切り替えます。ここからアイスクリームの産業化が始まったのです。
1951年、ボルチモアに建立された「アイスクリーム発祥の地」のブロンズ顕彰碑。「当地でヤコブ・フッセル氏が、1851年に世界で初めてアイスクリームを産業化したことをここに記念する」と記されています。
1890年代初め、ウィスコンシン州ではチョコレートをかけたアイスクリームが販売されていましたが、高すぎてあまり売れませんでした。そこで日曜日に限って売り出したところ大評判に。
また、イリノイ州のある酒場でも、日曜日に「サンデー・スペシャル」というチョコレートがけアイスクリームを出したところ、こちらもヒット。ただし、名前を安息日「Sunday」とつけるのを遠慮して「Sundae」と書くようにしたそうです。
似たものに「アイスクリームパフェ」があります。こちらはアイスクリームにクリーム、フルーツなどを飾ったデザートです。風味の多様さと冷たい喉ごしが完全(Perfect:パーフェクト)だということでつけられた名前です。
1868年の屋台のアイスクリーム売り。出稼ぎのイタリア人たちが氷入りの冷蔵庫を乗せた手押し車でアイスクリームや氷菓を売り歩いていました。これらのアイスクリーム売りたちは、《ecco un poco》(ちょっと寄ってきな)と叫んで、客寄せをしていました。これが後に「ホーキー・ポーキー」マンと呼ばれるようになります。アメリカでも1920年頃まで、アイスクリーム売りはこう呼ばれていました。
1920年に始まるアメリカの禁酒法。1933年に廃止されるまでの14年間、アメリカはノン・アルコールの国でした。この時代、多くのビール会社がアイスクリーム産業に参入し、今までにないアイスクリームが売り出され、新技術が開発されました。
その一つがチョコレートをコーティングしたアイスクリームバー。のちにスティック付きになり「エスキモー・パイ」と呼ばれます。1921年には最初のアイスクリーム包装機が開発され、アイスクリームを自動で紙容器に充填できるようになりました。
さらに、1926年には「ポプシクル」、日本で言うアイスキャンデーが誕生しました。