アイスクリーム時代の到来

「ホームランバー」物語

昭和30年に協同乳業は酪農先進国のデンマークから大量生産できるアイスクリームバーマシンを輸入、東京日本橋の本社ビル1階をアイスクリームの製造工程が見える工場として、生産を開始。

31年に1本10円の「アイスクリームバー」を発売し、大量生産によるアイスクリームの大衆化の道を開きました。昭和35年には当たりくじ付き「ホームランバー」を発売し、当時の子供たちのあいだで爆発的な人気となりました。あたりくじの仕組みは、バーに当たりマークを焼き印し、当たり(ホームラン)が出たら買ったお店でもう1本もらえるというものでした。

昭和30年代の『バニラブルー』(雪印乳業)のパッケージ。

カップアイスの定番「バニラブルー」

昭和28年、国産のカップ充填機が雪印乳業の品川工場で稼働を開始。
その頃、ようやく日本製の紙カップも使用できるようになり、本格的にカップアイスの生産が始まりました。

大阪工場で生産されていた<赤>、<青>、<黄>のカップアイスがヒットしたのもこの頃です。やがて、その中の<青>カップがカップアイスの定番「バニラブルー」となり、現在も販売されています。

5月9日は「アイスクリームの日」

東京アイスクリーム協会(※当時)は、1964年にアイスクリームのPR活動の一環として、5月9日を「アイスクリームデー」と定めました。この日に、福祉施設などへのアイスクリームの寄贈と、多くの女性を招待し、色々なアイスクリームを楽しむイベントをホテルで開催しました。

以後、5月9日を「アイスクリームの日」として、毎年5月9日を中心に全国各地で、 福祉施設などへのアイスクリームの寄贈と、アイスクリームプレゼントなどのイベントを行い、アイスクリームのPR活動を行っています。

なお、「アイスクリームの日」の由来として、1869年に町田房蔵がはじめてアイスクリームを製造・販売した日が5月9日であるという説がありますが、これを裏付ける資料は確認できていません。

※東京アイスクリーム協会は、現在の日本アイスクリーム協会の前身